ありがとうございます。
お客様の大切なお品物を
大切にお取り扱いさせていただきます。

 

店長 宮崎 則子

家族紹介

家族写真

横浜の元町で両親は眼鏡店を営んでいます。4歳年上の姉と二人姉妹です。

これは、私が3歳、姉が7歳の七五三の時に撮った家族写真。両親がとっても若い!今とは違ってほっそりしている父と、若い頃からお洒落な母は、私の自慢の両親です。


大人になるまで

小学校から高校までは地元の公立学校へ通っていました。両親のお店は元町ですが、小学校に入る頃に自宅は横浜の端っこのほうに引越しをしています。そのため、私の面倒はほとんど姉が見てくれていて、どこに行くのも姉の後をくっついて遊びに行ったり、お使いに行ったりしていました。

小さい頃の楽しみは、水曜日。両親のお店が定休日だったので、お休みの日は、母が作ってくれるちょっと豪華な夕食や、時には学校を休んで遊園地や釣りに連れて行ってくれたりと、私にとっては待ちに待った水曜日でした。

優しい両親と、面倒見の良い姉に囲まれた私は、当然、わがままいっぱいに育っています(笑)

姉妹の写真

ブランドリサイクルとの出会い

高校を卒業して、アパレルメーカーに勤めてからも、友人や職場の仲間と遊びまわって、毎日とても楽しく充実していました。

ところが、あるとき、生まれて初めて両親から、お店の経営がうまくいっていないことを聞きました。それまで、私は両親のお店のこと、そして大切なはずの両親のことを全く考えず、お店があることを当たり前のこととして考えていた自分に、初めて気付きました。

30年以上続いてきたんだけど、そろそろ限界かなぁ・・・とつぶやく両親の姿を見て、私は初めて、何かしなくてはいけない!と感じたのです。でも、私にできることといっても、お店を手伝えるわけでも、スティーブ・ジョブスさんのように素晴らしいアイデアや画期的な商品を考えることもできません。そこで、私はそれまで自由に遊ばせてもらっていたときに購入したルイ・ヴィトンのバッグとロレックスの腕時計を持って、近くのブランド買取店へ行ったのです。とにかくお金が欲しい、両親になんとかお金を渡したい、という必死の想いでした。初めて行く買取店は、不安がいっぱいでした。本当にこんな使い古したものにお金を払ってくれるのだろうか、どんな店員さんなんだろうか、それでも、心のどこかでバッグや時計を買った時のことを思い出したりして、たくさんの不安と複雑な想いで、重い気持ちでドアを開けました。そんな不安を吹き飛ばすように迎えてくれた店員さんの笑顔と、そして手にしたお金の重みを今もはっきりと覚えています。お金を手にしたとき、私はいろんな想いが駆け巡って、涙が止まりませんでした。

宮崎則子

どんなに使い古したものでも、買ったときの想い出は色褪せません。その想いをしっかりと受止め、ブランド品だけでなく、使っていた方の想いを大切に、責任を持って、次に使ってくださる方にお渡しするお手伝いをすることが、買取姫の責任であり、役割だと、私は考えています。

バイヤー 角田 ナミ

家族紹介

両親と二人の姉、3姉妹の末っ子として生まれました。姉とは4つずつ離れていて、小さい頃は、姉たちの着せ替え人形状態(笑)

姉妹みんなで健康オタク。スポーツジムやマラソンなどで休日を過ごすのは、離れていても同じ趣味を持つ仲良し三姉妹です。最近は、山登りに凝っています。写真は富士山の頂上まで登った時のものです。日本一の高さから見る景色は本当にすばらしかったです。屋久島・貴船山、和歌山古道なども行きましたので、次はどこに行こうか悩み中。オススメがあれば、ぜひ、教えて下さい。

大人になるまで

幼稚園の頃からバレーを習い始めました。将来はバレリーナになりたいというのが夢でしたが、小学校に入ってマーチバンドを始めてから、いろいろな楽器に触れる機会が増え、オーケストラで演奏するのが夢に変わり、中学校では吹奏楽部に入りました。ところが、高校に入ってからアルバイトを始めて、世界が開けたような気がして、だんだんと音楽は演奏する側から聴いて楽しむ側になり、今でもライブやコンサートにはよく足を運びます。

私が社会人になった頃は、ちょうどバブルがはじけ始めた頃でしたが、まだまだ実感もなく、なんとなく世の中は浮かれ気味。私もそれにつられて、ブランド品を買い、将来を不安に思うこともなく、今が楽しければそれでいいというお気楽で楽しい毎日でした。

バイヤーになる決意

結婚を機に、当時働いていた会社を退職したのですが、やっぱり働くことが好きだったので、ご縁あって、今の会社に入社。仕事もプライベートも楽しく過ごしていたあるとき、突然、主人が病気で亡くなってしまいました。

本当にあっという間のことで、大切な人が側にいてくれたからこそ、私は楽しい毎日を過ごせていたのだと痛感し、自分は一人なんだなぁと辛く悲しい思いを抱えていたところに、東日本大震災が発生しました。一人で過ごす時間が、ますます不安で孤独でしたが、現地の方はもっともっと辛く悲しい毎日なのだと思うと、どんどんと悲しい気持ちになっていました。その時に、店長の親友が被災して困っているというお話を聴いて、ボランティア活動に一緒に参加させてもらいました。街頭募金活動や、洋服・バッグ・靴などをダンボールいっぱいに集めて被災地に送らせて頂きました。少しでもお役に立てるのなら、という思いでしたが、しばらくして、被災地の方たちからお手紙を頂きました。その中で、私はたくさんのお礼の言葉を頂きましたが、お礼を伝えたいのは私のほうでした。私でもお役に立てたという思い、そして人と人はどんな形であっても繋がっているのだということを実感した瞬間でした。人と人を結ぶ架け橋になるこの仕事の素晴らしさを体感し、一人ひとりの想いを大切に届けたいという新しい夢を私は持つことができたのです。

お客様への想い

「使っていないけど捨てられない」でも「誰かが大事に使ってくれるのなら」 大事にしてきたそれぞれの想いに共感し、人から人への橋渡しをするお手伝いをさせて頂きたいと考えております。一人ひとりの気持ちを大切にするお店創りを目指して、日々勉強中です。ぜひ、あなたの想い、私にお任せくださいませ。